2015年8月18日火曜日

70年前の今日、玉音放送の後も戦いは続いていた…[中標津町郷土館]

一日、雨。
残念ながら雨天のため、本日の丸山公園定例観察会は中止となりました。(-_-;)

最低気温は上標津での13.6℃、最高気温は中標津での15.7℃で「10月中旬並」。

今日は、何の日? -「占守島(シュムシュトウ)の戦い」
70年前の今日、玉音放送から3日後、突如ソ連軍が千島列島及び北海道の北東半分を奪取すべく、北千島列島の一つである占守島に砲撃を加えながら上陸し、それを日本軍が迎撃して占守島の戦いが起きた。予期せぬ事態にも関わらず堤不夾貴中将ら第九一師団将兵らがソ連軍に対し、多大な損害を与えその侵入を阻止した。翌19日から停戦交渉が行われ、22日にソ連軍と日本軍との間で停戦交渉が調印された。

↓占守島の位置


↓スターリン率いるソ連軍が要求した北海道北半分の領土

つまり、「占守島の戦い」における日本軍の猛反撃がなければ、今頃中標津原野を含めた根釧原野がロシア領になっていたことだろう。

図版:『北海道を守った占守島の戦い』より掲載

寄贈資料の整理作業、原稿作成やその他事務作業など。

本日のブログは、学芸員のMでした。

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